浄土真宗 本願寺派(お西) 新潟県長岡市 長永寺  
長永寺の歴史
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NEW ・人生そのものの問い
浄土真宗の利益 〜お念仏はなにものにも勝る大善、大功徳である〜
信心の社会性について 〜なぜ「念仏者の社会性」、「私の社会性」ではいけないのか〜
本山大遠忌法話「念仏は私を呼ぶ声」 〜いつでも、どこでも、誰でも必ず救う我にまかせよ〜
長岡組基幹運動作成にあたって 〜長岡組長として考えていること〜
母の介護を通して 〜公共サービスの利用で家族の負担を少しでも軽く〜
共に生きる姿勢 〜いつも自分を理解し共に生きる人を欲している〜
いつでもどこでも救いは届いている 〜いつでも、どこでも、誰でも必ず救う〜
私が浄土へ生まれていく宗教 〜私たちは真実に遇い、真実に生きねばなりません〜
生きる意味を考え 〜精一杯生きる人々の生き方〜
サーパスマンション(穴吹工務店)の倒産に思う 〜盛者必衰〜
自己中心の世の中 〜協力し分け合ってこそ生きていけるのです〜
直葬 〜亡き人の思いに叶うような葬儀を〜
生死の自覚 〜尊い命であるが、はかない命であるということ〜
浄土真宗ということ 〜親鸞聖人の生き方に学ぶ〜
私と仏教 〜仏になるべき種を蒔かねばなりません〜
連続研修会への進め 〜念仏の喜びにあふれた宗門に〜
悪人が救われるとは 〜阿弥陀如来から見抜かれたわが身〜
仏の仰せのまま 〜念仏一つで必ず救う〜
亡き人を思う 〜お墓に話しかけることとは〜
地球環境と人間 〜地球の一員として生きる〜
永代経について
2008年のごあいさつ
ビハーラとは 〜その1 老と病と死を目の前にして〜
ビハーラ病棟の目指すもの 〜その2 いのちの短さを知らされた人〜
ビハーラと私 〜その3 生死の問題との関わり〜
真実(まこと)の誕生 〜なにものにも恐れることのない確かな人生〜
大きなはたらきに生かされて 〜阿弥陀如来は「すべてのものを必ず救う」と約束しています〜
いのち輝いて 〜頂いた命、お念仏の教えに遇い、輝きましょう〜
生きることの意味 〜50歳で末期癌と診断され、大学生の息子に看取られた母の心〜
いのち輝いて生きる 〜妻の突然の死、自分は末期癌、しかし阿弥陀様がついています〜
私と浄土 〜お念仏を戴いて生き抜いた私の還るべき家が『浄土』なのです〜
浄土に生まれる 〜お浄土は光となってこの私の煩悩の身に真実に気づけと働いているのです〜
「念仏に生きる」 〜その1 混迷する現代社会〜
「念仏に生きる」 〜その2 いのち尊し〜
「念仏に生きる」 〜その3 人間何のために生きるのか〜
「念仏に生きる」 〜その4 念仏を聞く〜
ただ念仏して 〜末期ガンを宣告されても、『寂しくない生き方』を過ごしたAさんの話〜
ビハーラ病棟の願い 〜ビハーラ病棟のいのち輝く日々〜
「一人生まれ一人死ぬ」 〜命が有限なものであることを深く認識していますか?〜
仏にあう 〜法を聞き、救いを信じて素直に手を合わせる。教えは身に受けるものなのです〜
諸仏護念の益 〜宗教とは何か〜
私の宗教教誨 〜新潟少年学院へ収容されている少年たちへ伝えたい〜

 
私の宗教教誨 新潟少年学院へ収容されている少年たちへ伝えたい〜

少年達と接して彼らをどの様に見るか。彼らは罪を犯した少年ですが、教誨を通じて少年達が何故こんな重大な罪を犯したのかと思う事が良くあります。少年達が罪を犯したのは何故だろう。その理由を考えるとき、私がいつも人間の行動を見る基本にしている言葉があります、それは親鸞聖人の「人はだれでも、しかるべき縁がはたらけば、どのような行いもするものである」という言葉です。少年に接して感ずる事は現代社会のさまざまな問題がこの少年達の上に端的に現れているのではないかと思っています。少年達は様々な環境の中で育てられます、両親をはじめとした家庭生活の影響や欲望追求に走る現代社会の文化や教育の歪みの中で、今少年達は翻弄されて生きています。誰もが罪を犯す可能性を持っていると思います。
私は新潟少年学院で毎月一回の全体講話と多少の個人面接をさせていただいてきました。いつも願うことは一人でも多くの少年が自分の「いのちの尊厳」に目覚め、二度とない人生を悔いのない生き方をすることです。そして自分は何をしなければならないか、少年院は自分の人生を考え、何が間違っていたのか、何を変えなければならないのかなど自分自身を見つめる素晴らしい場所であると思っています。今後も私のささやかな体験を通して学んだことを話し、共に語り合って少年達の希望ある将来のために少しでも協力することが出来れば幸いであると思っています。
私は新潟少年学院でさまざまな話をしてきました。仏教の教えは難しく本来は仏教に興味が無い少年がほとんどであろうと思います。そんな少年達に仏教の智慧が自分たちの生活に大切なものであり、難しい教えではなく素晴らしい教えであることを知ってもらいたいと願っています。また私は長岡西病院のビハーラ病棟に時々行きます。ビハーラ病棟は主に末期の癌の患者さんが入院するところです。様々人が入院しますがおよそ六ヶ月以内に亡くなっていく人なのです。そのような人々に接していのちの大切さと儚さをいつも考えさせられます。人生の危機に直面して精一杯生きる人々の生き方から少年達にも是非考えてもらいたいと願って時々講話の中に入れています。
講話で考えている事を具体的に述べます。

  1. いのちの尊さを考えます。なぜ私達のいのちは尊いのか?かけがえのないいのちであり、一度きりの人生であるからです。そして最も大切な事は一人一人願いのかかっているいのちだから尊いのではないでしょうか。
  2. 現代は世界中欲望追求型の社会です。欲望追求の人生は餓鬼道への人生です。しかし私達は欲望を無くすことは出来ません。大量消費から環境にやさしい生き方をしなければなりません。今や地球環境は人間の欲望によって破滅への道を歩んでいます。自分の生き方を考えなくてはなりません。
  3. 人間は何のために生きるのかということ。物の豊かさを競う社会は有用性のみを追求しています。役に立つか立たないかが問題となる社会から、一人一人が生かされてあるいのちに気付き、一日一日を大切に生きる人生を送ることです。
  4. 最近日本の各地でカルト的宗教がはびこっています。人間にとって宗教を持つことは必要な事です。しかし本物の宗教と偽物を区別する眼を養わなければなりません。仏教は因縁の教えです。今少年院にいる原因は自分自身の中にありそれに気がつかないと生き方は変わりません。何が間違っていたか、これからどう生きるかを自分で気がつかねばなりません。

以上のような点に留意して私は教誨師活動を続けてきました。
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